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プロジェクト・ヘイル・メアリーの挿入曲を好き好き言うペーパー

イベントの原稿を書き終えた翌週、無事に原作小説を読み終えた。 少しばかり映画のネタバレを踏みつつも、公開から遅れること二週間、ようやくスクリーンへと足を運ぶことができた。 原作を先に通過したからこそ、タイムラインの取捨選択について色々と語りたい贅沢な葛藤はあるものの、何よりあの壮大な物語を久々に大画面で目撃できたという「映画体験」そのものに、深く満足している。 映画館を後にしたとき、その濃密な余韻を頭の中で反芻するには、やはりサントラを聴くのが一番の方法だ。 今回は、劇中を彩った挿入曲たちを振り返る。 耳馴染みのある名曲から、初めて出会った曲まで、全13曲。 ここから先は映画と原作の核心(ネタバレ)に深く触れていくため、未見の方はぜひ、宇宙へと旅立つ前に本を開くか、劇場のシートに身を沈めてから戻ってきてほしい。 1. Sunday Mornin’ Comin’ Down / Kris Kristofferson カントリー歌手であり、俳優でもあるクリス・クリストファーソンによって書かれた二日酔いソング。 「昨日は楽しかったな〜飲みすぎちゃったわ〜二日酔い辛いわ~」とでも歌ってるのかと思いきや、歌詞には日曜日の朝に家族もなく一人で目覚めた男の陰鬱な孤独と空虚がたっぷりと詰まっている。 "there's nothin' short of dyin'"と歌われるほど死に近い極限の孤独。 目を覚ましたら記憶もなく宇宙空間に一人きりだった、というグレースを表すのにこれほどまでに合っている曲があるとは。 レイ・スティーブンス、ジョニー・キャッシュといったカントリー歌手によって歌われてヒット曲になった。映画では、70年のクリス・クリストファーソンのレコーディングバージョンが使用されている。 2. Pata Pata / Miriam Makeba 過去の回想シーンで、グレースがアストロファージの実験のためにホームセンターに資材を買いに行くシーンで流れているアフリカン全開のナンバー。 タイトルの『Pata Pata』は南アフリカのダンスの導入部分で、現地のコサ語で『触って』という意味でもあるそう。 未知のアストロファージを前に、恐怖よりも好奇心が占めている科学者グレースのウキウキが感じられる。 ミリアム・マケバは「ママ・アフリカ」と呼ば...

『Man on the Run』を見て

ポールのウィングスに対する評価は、おっっっっそろしく低い。 それが、ポールの長年のインタビューを聞いてきたこれまでの印象だった。 それに加えて、本人もビートルズのことは多く語ってくれるのに対して、ウィングスのことはあまり語りたがらないというスタンスもあったと思う。 ビートルズという存在には、実に多様な視座が存在する。 けれど、その本質は、リバプールという地方都市の労働者階級生まれの少年たちが音楽で成功を掴み年を重ねるにつれてそれぞれの道を選んで別れていく、ひとつの巨大な「青春の喪失」のナラティブだ。(もちろん、内実はそんな綺麗事ばかりではなかったにせよ) その終わりは、万人が思うハッピーエンドではないけれど、最後に『アビーロード』という傑作が遺されたこともあり、ビートルズの物語はその終わりまで含めて、多くの人に愛されている。 そうとなれば、ビートルズの一員だったポールも、大好きなメンバーと共に過ごした日々のことなら、明るい語り口でバンドを語ることができるのだろうと思うのだ。 では、ウイングスとは彼にとって何だったのか。 二度目の成功者 六十年以上に渡るポールのキャリアの中で、ウィングス時代のポールはビートルズ以上の記録を持ったものがいくつもある。 シングルの話をすると、ウィングスの『Mull of Kintyre(夢の旅人)』はイギリスで200万枚という当時の歴代最高記録のセールスを叩き出していたり、ツアーの話になると76年の「ウィングス・オーバー・ザ・アメリカツアー」は観客動員数の記録を塗り替えたり、ライブアルバムは三枚組ながらチャート1位を獲るなど、本当に驚異的な記録を数々持っていた。 元ビートルズの括りを捨てたとしても、七十年代に二度目の成功者となったポールは、間違いなく最も売れたミュージシャンの一人であり、その彼のバンドであるウィングスは最も売れたバンドの一つだった。 それにもかかわらず、ビートルズの神話と比較するとウィングスの物語は、中々に厳しいイメージが内包されて、紡がれてきたと思うし、その評価は今回の映画を見てもそこまで変わらない。 バンドの始まりと終わりをどう切り取ろうにも、ウィングスの始まりはビートルズの終わりと重なるものであって、成功の波に乗るまではバンドは波乱に満ちていて、七十年代を圧倒する存在になりながらもどこかランナーズハイのように駆け続...

2025年のポールを想う

今年のロックミュージックの話題の殆どをかっさらっていった、オアシスの再結成ツアー。 アメリカの独立記念日である7月4日にカーディフから始まったその熱狂は、11月25日に幕を閉じた。 そして奇しくも、オアシスのツアーが終わったまさにその同日、もう一人の巨大なミュージシャンがアメリカツアーを終えている。 2025年に御年83歳になったサー・ポール・マッカートニーだ。 個人的にオアシスの再結成のおかげで、ここ数年と比較すると数倍の密度で洋楽、特にUKロックの情報を追っていたせいか、ポール自身や彼に関する話題をよく耳にした一年だった。 2025年の最後に何を振り返ろうかと考えたとき、私はポールの一年を辿ってみたくなった。思い出せる限り書き残しておきたい。 グラミー賞の巡り合わせ 2023年11月に発表された、ビートルズ最後の曲『Now and Then』。  発表のタイミングの妙か、なぜか第67回グラミー賞にノミネートされ、「最優秀ロック・パフォーマンス賞」を受賞したことが話題になった。 意外にも、現役時代である60年代のビートルズはグラミーの受賞レースからはやや冷遇されており、主要部門での受賞は『Michelle』の最優秀楽曲賞と、『Sgt. Pepper's〜』の年間最優秀アルバム賞に留まっている。  ジョンの死後に制作された『Free as a Bird』が1997年の第39回で最優秀ポップ・パフォーマンス賞を受賞してから、28年の時を経て、今度は『Now and Then』がロックの賞を獲る。 主要部門ではないため、受賞インタビューに訪れたのもショーンのみだったし、ファンもそこまで過度な期待をしていたわけではなかったと思う。 むしろ、自分が強く意識したのは、ビヨンセの受賞だった。 悲願の年間最優秀アルバム賞を受賞した『 COWBOY CARTER 』の方だ。これがビヨンセのベストアルバムかと言われると少々言葉に詰まる部分もあるが、人種による音楽ジャンルの境界線を打ち壊す非常に意欲的な作品だったことに違いない。 このアルバムには、『ホワイト・アルバム』収録のポール作『 Blackbird 』のカバーが収録されている。 楽曲を聴いたビートルズファンだと恐らくすぐにわかるのだが、このカバーには原曲のポールの演奏(と足音)がそのまま使われている。 60年代...

名曲が永遠に変わるとき

東京オリンピックの開会式で『Imagine』が流れたのを覚えている。 ゲーム音楽と共に選手入場が始まってひと段落しているときに、馴染みのある曲を聴くことになったことに少し驚いた。平和の祭典であるオリンピックなのだから、確かにイメージはピッタリかもしれない。 そう思った半年後には、冬季オリンピックが開催された北京で、そして2024年のパリの開会式でも『Imagine』は使用されることになった。 パリの開会式でのNHKの解説によると、今後のオリンピックの開会式では『Imagine』が歌われることになったという。もしかしたら来年の冬季ミラノ・コルティナ、28年のLAの開会式でも、私たちはあのイントロを耳にすることになるのかもしれない。 『Imagine』はシンプルさが魅力のアンセムだ。 今の社会を形作っている礎である「国、宗教、物質主義、争いといったもののない、平和で理想的な世界を『想像』しよう」と呼びかける歌詞は、当時は共産主義的と言われたようだが、ユートピア的な世界を願う祈りは現代でも歌い紡がれている。 マドンナやエルトン・ジョンをはじめとする多くのミュージシャンにカバーされ、オリンピックだけでなく、国連行事、追悼、チャリティイベントといった様々な場で、この曲は歌われ続けている。 そんな表題曲が収録されたアルバム『Imagine』が、ビートルズ解散後、ポールとの壮絶な大喧嘩の最中に作られたということは、ファンにはよく知られた事実だと思う。 『Imagine』では全人類の恒久的世界平和を願う聖人のように見えるジョンが、ただ一人の親友と仲直り一つできずに、個人攻撃の極みともいえる『How do you sleep?』を書いて、それを同じアルバムに入れちゃうという矛盾。 理想の自分と現実の自分、どちらにも正直なところが、ジョンらしいと言えばらしいけれど。 しかし、『Imagine』はそんなジョンの持っていた人格的矛盾や私的感情を超えて、発表当時よりもはるかに大きな存在になっている。 1980年のジョンの死と、2001年の9.11という二つの出来事の後、社会はこの曲に「人が平和を想像する」役割だけでなく、「すべての人類への鎮魂歌」という役割を与えてしまった。 特定の国家、宗教、思想に触れることなく、ただ想像をすることを諭す、祈りの曲。 作り手であるジョンの手を既に離れ、『Im...

カバーされるビートルズーオアシスもいっしょー

リアムの蛸庭にいたく感動した話は以前の記事に書いた通りなのだが、最近ちょくちょくオアシスのビートルズカバーを聴いている。アンソロジーの再発で、90年代のポール、ジョージ、リンゴに思いを馳せているせいかもしれないが、どうにもこの二つのバンドは自分にとって切っては切り離せないらしい。 そうしたら運命的にもブルスコのフォロワーさんがリアムのカバーについて呟いていらして、「よーしちょっと知ってるやつまとめちゃうぞー!」の気持ちでこの記事を書くことにした。(まとめは記事後半に) ついでに、オアシスのビートルズカバーだけでなく ビートルズ曲のカバーという行為の奥深さ” についても少し触れていきたい。ビートルズほど多彩に料理されてきた曲を持つバンドも珍しいので、そのあたりの魅力もゆるっと辿っていくつもりだ。 ビートルズ曲のカバー 『Get Back』の頃にジョージが『Hey Jude』のカバーを聴いたかとメンバーに話題を振っていた通り、ビートルズの曲は活動中から驚くほどの数のミュージシャンにカバーされていた。ビートルズが新曲をリリースすると、片っ端からカバーされ、カバー曲がチャートに載る……そんな時代が、おそらくあっただろう。 『Yesterday』はその最たる存在で、彼らの活動時点で1000ものカバーバージョンが存在した化け物級の曲だ。その後もカバーの数は増えていき、「世界で最もカバーされた曲」としてギネスにも認定されたこの曲のカバーは、今は一体何件になっているはその数を知るのは難しいだろう。 ビートルズ曲のカバーは、その量だけでなく、カバーするミュージシャンの層の厚さも特長的だ。 同じロックミュージシャンだけでなく、ソウル、ジャズ、カントリーという様々な音楽のジャンル、そして言語を飛び越えて世界中のミュージシャンにカバーされ続けている。 フランク・シナトラ自身は初めレノン=マッカートニーの曲だと思っていたという逸話が残る『Something』( https://youtu.be/YcIxxP_pOSc?si=d3nVDPcBd3ITwZnG )をカバーし、ジャズの文脈でこのカバーを歌い紡いでいった。カナダの女性歌手のアン・マレーも70年代に『You won't see me』( https://youtu.be/X4-1ovrXqZ0?si=5yXNv7ZoV3PYn...